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ハノーヴァー朝第6代女王としてイギリスの大英帝国時代といわれる繁栄を極めた国王ヴィクトリア女王の息子であり、ヴィクトリア女王が崩御した後に王位に就いたエドワード7世。
エドワード7世の治世は1901年~1910年と10年でした。1901年まで続いたハノーヴァー朝からサクス=コバーグ=ゴータ朝とかわり、1837年6月から1901年1月まで続いたヴィクトリア女王の治世をヴィクトリア朝と呼ぶのに対し、エドワード7世の統治時代はエドワード朝と呼ばれていました。王位に就くまでは私生活ぶりから良き王としての期待はされていなかったエドワード7世ですが、王位に即位後はフランス、ロシア、日本など国外交渉に力を入れ外交に尽力を注ぎました。そのためピースメーカーと呼ばれ評価されたエドワード7世。エドワード7世の金貨もご即位後に発行されました。
エドワード7世の半生とエドワード7世金貨や発行されたコインについてお話いたします。
INDEX
エドワード7世は、1841年11月9日に母ヴィクトリア女王とその王配である父アルバートの長男としてバッキンガム宮殿で誕生します。誕生と同時にコーンウォール公爵に叙され、その一ヶ月後には英国王太子を意味するプリンス・オブ・ウェールズに叙されました。1842年に洗礼を受け、父アルバートとヴィクトリア女王の父エドワードの名前から「アルバート・エドワード」と名付けられました。愛称はバーティでした。
幼少期のバーティは、当時のヨーロッパの王族が大抵そうであったように、学校へは通わずに家庭において厳しく育てられました。
ところがバーティは両親からは出来損ないと目されていたようであまり評価されていませんでした。ただ語学には堪能で、ドイツ語とフランス語はかなり流暢に話すことができました。
これは後々バーティの大きな武器となります。1852年の初外遊でフランスを訪れた際、当時のフランス皇帝ナポレオン3世に大変可愛がってもらい、同行した馬車の中で「あなたの子供に生まれたかった」と呟いたというエピソードは有名です。
その後、王族としては初めてオックスフォード大学に入学します。その後ケンブリッジ大学へ転校しますが、ここでバーティは悪い仲間と出会い、つるんで不良行為を重ねるようになります。
これを心配してやってきた父アルバートに厳しく叱責されますが、心労がたたってアルバートはその翌月には亡くなってしまいます。母であるヴィクトリア女王はこれに激怒し、バーティを遠ざけるようになります。バーティはその後アメリカ、カナダに留学します。帰国後にはある女優と艶聞を流し、またも不良行為に走ります。
業を煮やした女王は「結婚させればこの不良行為も治るだろう」と考え、当時美貌で有名だったデンマークの王女と見合いをすることになりました。
ただ当時デンマークはドイツとある土地を巡って争っている最中だったので、デンマークと接近することが、かねてからイギリスと親密だったドイツを刺激するかもしれないと女王も慎重にならざるをえませんでした。
そこで見合いはヴィクトリア女王の叔父であるベルギー国王レオポルト1世の宮殿で行われました。
見合い相手のデンマーク王女アレクサンドラは想像以上に美しく、ヴィクトリア女王もバーティも一目で気に入り、この結婚を強く望みました。経済的に困窮していたデンマーク王室もこの縁談に乗り気で2人は結婚します。
バーティの女遊びが治るのを期待しての結婚でしたが、女王の願いも虚しくバーティの女遊びはその後も続きました。
王太子妃アレクサンドラも呆れてしまい、子育てに専念することでその気分を紛らすほかありませんでした。アレクサンドラが子供たちに「父にような愚かな人間にならないように」と諭しながら育てたというほどでした。
女王は不出来な息子を遠ざけて、重要な国務に携わらせることはありませんでしたが、数少ない公務の中でそれなりの手腕を発揮し、とくに外交においては成果を上げました。当時トルコとギリシャ、エジプトに間で高まっていた緊張感を、三カ国を歴訪することで緩和させたこともあります。
周辺各国の冠婚葬祭には英国代表として出席し、その堪能な語学力を活かして友好な関係を築いていきました。ただこの時期に甥であるドイツ皇帝ヴィルヘルム2世との間に軋轢が生じたりもしています。
その原因はバーティがオーストリアを訪問した際に、自分とオーストリア皇帝とドイツ皇帝とで三者会談を行いたいとヴィルヘルム2世に打診したところ、言下に断られたことでした。
ヴィルヘルム2世は国王でもないバーティと対等に会談する必要性を感じなかったということです。この対応にはヴィクトリア女王も怒り、ヴィルヘルム2世に謝罪文を書かせています。またこの間にバーティは長男アルバート・ヴィクターを肺炎で喪っています。王太子妃アレクサンドラも嘆き、バーティも「自分が代わりに死ねばよかった」と悲しんでいます。
1901年ヴィクトリア女王が死去すると、バーティは59歳にして国王に即位しエドワード7世を名乗ります。
その治世において、内政では保守党と労働党が鋭く対立する英国議会を穏和に調停するよう口添えをしています。外交では首相にイギリスに立場と方針を確認した上で、王族外交を展開し、ヨーロッパの平和を守るために奔走しました。当時のヨーロッパ各国の王室の濃密な血縁により、ロシア皇帝もドイツ皇帝もエドワード7世の甥であったので、拡大主義を取りつつあったロシアとドイツをなだめ戦争の回避に尽力しました。
日本とも有効な関係を保持しようと努め、伊藤博文が訪英した際にはクリスマス休暇中であったにもかかわらず、快く伊藤を出迎えています。また伊藤の流暢な英語に感銘を受けています。
日露戦争が起こったときには、心情的には甥が統治するロシアを応援したかったかもしれませんが、日英同盟を尊重していたので、戦争の仲介役を買って出ますが甥に断られています。
そのロシアで待望の皇太子が誕生すると大喜びでその代父を引き受けています。一方で当初の予想を裏切り日露戦争に日本が勝利すると、同盟国である日本の勝利を祝福しています。戦争後はロシアとの関係を修復しようとして英露協商を締結、英仏協商、露仏協商、日英同盟と合わせて英仏日露の四カ国関係の安定に意を注ぎました。
エドワード7世が即位されたのち金貨が発行されました。コインの金貨は5ポンド、2ポンド、ソヴリン、1/2ソヴリン、銀貨はペンス、シリング、クラウン、ペニー銀貨が発行され、銅貨も発行されました。表面はエドワード7世の横顔で裏面は聖ゲオルギウスの竜退治が描かれています。グレート・ブリテンと国名を示す文字が入っています。
中でも発行枚数8,066枚といわれている1902年発行のプルーフコインの5ポンド金貨は艶消し加工(マットプルーフ加工)の金貨がとても人気があります。
通常プルーフ金貨はキラキラと輝く鏡面加工のプルーフ加工がされているのですが、エドワード7世5ポンドプルーフ金貨はマットプルーフ加工がされていて重厚感のある輝きを放っています。金貨はK22金製の金貨です。
その一方でドイツとオーストリアはヨーロッパに戦雲を呼ぶ存在でした。イギリスやフランスほど植民地を持たないドイツは、より多くの植民地を獲得するべく戦争も辞さない構えでした。
ドイツと三国同盟を締結しているオーストリアも同様でした。当時の植民地獲得競争はヨーロッパの帝国主義列強各国にとって死活問題だったので、誰も譲らず一触即発の緊張状態が続いていました。エドワード7世もこの状態を気に病み、1909年に訪独しましたが、ついに溝は埋まりませんでした。
この時期に崩したエドワード7世の体調は、翌1910年になっても戻ることはなく、休養を取らざるをえませんでしたが、混乱する内政を立て直すためにロンドンに向かわなければなりませんでした。
5月に入り床にふすようになりましたが、5日にはすでに衰弱しきっていました。見舞いに駆けつけた息子ジョージがエドワード7世の馬がレースに勝利したことを語りかけると、混濁する意識の中でも嬉しそうに微笑んだといいます。
6日には昏睡状態となり、そのまま息を引き取りました。サライェボ事件に端を発する第一次世界大戦の僅か3年前のことでした。
最期の言葉は「私は絶対に降参しない」でした。
如何でしたでしょうか?エドワード7世の半生とエドワード7世金貨についてお話をしました。エドワード7世金貨は英国発行のもののみならず高価買取しています。オーストラリアやカナダ、インド、香港、ジャマイカなど世界各国で発行れました。その他、植民地や半植民地の地域でも発行されています。貨幣の種類によっては現存数が大変多く希少性の少ない金貨もございますが、地金価値自体も高いため、今が売り時です。
また発行枚数の多い流通用貨幣ミントテイスト貨幣の中でも潰されてしまって現存枚数が少ないコインや、コインの国際的な鑑定機関でグレーティングされた金貨や銀貨は未使用品や準未使用品など等級が高いものは価値がより高くなります。一度ご相談下さい。
またエドワード7世金貨以外にもイギリスの金貨全般を高価買取しております。
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