北海道の記念硬貨一覧
地方自治法施行60周年記念貨幣(北海道) 1,000円銀貨幣
発行年 | 平成20(2008)年5月21日 |
図柄(表) | 洞爺湖とタンチョウ |
図柄(裏) | 雪月花 |
素材 | 銀 |
品位(千分中) | 純銀製 |
量目 | 31.1g |
直径 | 40mm |
1000円銀貨幣は表面が都道府県ごとに異なったデザインになっています。
北海道の図案は日本でも最大級のカルデラ湖である洞爺湖、そして、北海道の県の鳥でもあるタンチョウです。カルデラ湖の青々とした水とタンチョウの純白がカラーコインで、美しく描かれています。
また、日本の美しさを示す「雪月花」をイメージした、雪の結晶、三日月、桜の花が裏面には描かれています。
この銀貨幣は日本の偽造防止技術の結晶ともいえる硬貨です。特に側面にある斜めのギザ模様は、貨幣の模様を刻むときに同時に施されるため、従来よりも加工の工程が少なくなっています。この技術は、日本の造幣局が独自に開発したものです。
また、裏面に描かれた雪の結晶には、下に向けると「60」が、上に向けると「47」の文字が浮かび上がるという潜像加工が施されています。ほかにも微細点など、偽造防止技術が数多く用いられており、日本の造幣技術の結晶ともいえる作品です。
地方自治法施行60周年記念貨幣(北海道) 500円バイカラー・クラッド貨幣
発行年 | 平成20(2008)年12月10日 |
図柄(表) | 洞爺湖と北海道庁旧本庁舎 |
図柄(裏) | 古銭をイメージした「地方自治」 |
素材 | 銅・白銅・ニッケル黄銅 |
品位(千分中) | 銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5% |
量目 | 7.1g |
直径 | 26.5mm |
500円記念硬貨の表面も、都道府県を象徴する図案となっています。
北海道の図案は、1000円銀貨幣と同様の洞爺湖と、札幌市内にある北海道庁旧本庁舎です。特に洞爺湖は、貨幣の発行年でもある2008年のサミット開催の場所でもあることから、両方の図案に選ばれたのではないでしょうか。
この500円硬貨は、日本では初めてのバイカラー・クラッド硬貨です。異なる種類の金属をサンドイッチ状に挟みこむ「クラッド」と、異なる金属でできたリングにはめ込む「バイカラー」の2種類の技術が使われているほか、潜像加工などの偽造防止技術もふんだんに使われています。特に、貨幣側面の異形斜めギザ模様は、技術的にも視覚的にも偽造防止効果を一層高めたものになっています。
1000円記念硬貨の表面 『洞爺湖』
北海道の記念硬貨には、国内でも最大規模のカルデラ湖である洞爺湖が描かれています。
ほかにも北海道には、全面結氷する屈斜路湖(くっしゃろこ)や、世界でもトップの透明度を誇る摩周湖(ましゅうこ)など、数多くのカルデラ湖が存在します。しかし洞爺湖は、それらにも負けない魅力を持つ湖です。
日本で3番目に大きいカルデラ湖
カルデラとは、火山の噴火でできた巨大な窪地を指します。
日本は列島全体が環太平洋造山帯に属する火山大国であるため、国内各地にカルデラが点在しています。そのカルデラに水が溜まったものがカルデラ湖です。
北海道には数多くのカルデラ湖が存在しますが、洞爺湖はそのなかでは3番目に大きな湖です。
洞爺湖は、約11万年前頃に発生した大規模な噴火からはじまりました。この噴火で、ほぼ現在の洞爺湖の形が形成され、付近を流れる長流川によって満たされていったと推測されています。
湖になった後も洞爺カルデラの火山活動は続き、約4万年前の噴火で湖内に浮かぶ中島が誕生しました。また、洞爺湖の南岸にある有珠山は、再び火山活動が活発になった約2万年前頃にできたとされています。
火山とともに生きていく
洞爺湖周辺は、現在でも火山活動が活発な地域です。南岸の有珠山や昭和新山は、気象庁による常時観測火山に位置づけられており、噴火の可能性の高い火山です。
とりわけ、有珠山は有史以来頻繁に噴火を続けており、最近の噴火は2000年3月と今も予断を許さない状況が続いています。そのため、周辺自治体では有珠山・昭和新山の噴火に備え、日頃から防災教育が続けられています。
しかし、洞爺湖は道内有数の観光地でもあります。
洞爺湖周辺には温泉地が数多く存在するほか、湖全体を巡るクルーズ船など非常に観光業が活発です。加えて、火山地帯であることを利用した農業も盛んに行われています。また、南側の噴火湾はホタテの一大養殖地でもあります。
まさに、洞爺湖周辺は噴火に備えるとともに、火山の恵みを受け取っている、火山とともに生きる街といえるでしょう。
そんな洞爺湖周辺地域は、サミット翌年の2009年に洞爺湖有珠山ジオパークとして、日本初のユネスコ世界ジオパークとして認定されました。このジオパークには、火山活動による独特な地質や自然、そして、そんな自然のなかで育まれてきた縄文時代から現代までつながる多くの文化遺産群が含まれています。
このように洞爺湖は、地球と人の文化のつながりを強く感じられる場所といえるでしょう。
函館市の記念メダル『五稜郭』
函館市の記念メダルの図案は、国内最大の平城といわれる五稜郭です。
五稜郭公園の五稜郭タワーで購入できるこのメダルには、五稜郭と五稜郭タワーの両方が描かれています。
日本で最も新しい城
五稜郭は、江戸幕府によって築かれた日本で最も新しい城です。その建造のきっかけは、日米和親条約により函館港が開港されたことでした。
相次いで外国船が函館に入港するなか、危機感を覚えた江戸幕府によって、北の拠点として築城がはじまります。当時は、既に存在していた松前藩の奉行所を改築する予定でしたが、防御のことを考え、現在の五稜郭の地に建築がはじまりました。
五稜郭の最大の特徴は、日本では珍しい五芒星の形をした要塞であることです。
五稜郭が建てられた時代は「火砲の脅威をどのように凌ぐか」が、戦争における拠点設営の最大の課題でした。しかし星型要塞は、城郭を星型にすることで要塞の持つ死角を消すと同時に、敵を要塞側が攻撃しやすい場所へ誘導するという、攻撃的な防御が行える新しい形の要塞として発展していきました。
幕末の終わる場所
大政奉還を経た後、五稜郭には新政府の役所がおかれていました。しかし、1868年12月に仙台から北上してきた榎本武揚率いる旧幕府軍に奪われてしまいます。
その後、旧幕府軍は北海道南部を平定し政権を樹立するなど、なかば独立国の様相を呈していました。五稜郭占領の報を聞いた新政府軍は雪解けを待ち、1869年3月に青森から函館へと軍を進めます。
こうして戊辰戦争最後の戦い、箱館戦争の火蓋が切って落とされました。
両軍ともに死力を尽くし一進一退の攻防が続きますが、5月に新政府軍が箱館(現:函館)に上陸すると、戦局は一気に新政府軍に傾きます。11日朝の戦いで土方歳三が戦死すると、精神的支柱を失った旧幕府軍は総崩れとなり、18日に榎本らは降伏勧告を受け入れ、五稜郭は開城、戊辰戦争は終結しました。
そして、この戦争終結とともに幕末も終わりを告げます。
このメダルを手にするときは、公園内にある土方の銅像とともに、幕末に思いを馳せてはいかがでしょうか。