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丁銀・豆板銀とは?価値や特徴を種類別に一覧で解説!

高級ブランドのショッピングエリアとして、また美術館やレストラン、カフェなどのエンターテイメント施設が集まる地域として知られている「銀座」。

銀座とは、貨幣の鋳造を担った場所に与えられた呼称で、名前の由来は江戸時代、この地区に銀貨の鋳造所があったことから銀座と呼ばれるようになりました。

ここでは、産出された銀を元に銀貨が作られ、江戸・京都・大阪・長崎に設置されましたが、実際に銀貨を製造したのは江戸と京都で、1800年(寛政12年)からは江戸のみになりました。

その銀座で作られていた、「丁銀(ちょうぎん)」「豆板銀(まめいたぎん)」と呼ばれる銀貨について紹介していきたいと思います。

丁銀・豆板銀とは?

江戸時代の日本には2種類の貨幣体系が存在していました。

  • 定位貨幣:質と量が一定で、表面に額面を表示した貨幣。
  • 秤量貨幣:銀の純度が一定で、その重さによって価値が決まる貨幣。

丁銀は秤量貨幣で銀貨の一種です。初期に作られた金貨・銀貨は重さが一定ではなく、慶長まで端数は丁銀を切って使っていました。

室町後期から両替商の極印が押された、「古丁銀」と呼ばれる銀塊が通貨として流通していましたが、江戸幕府はこれを丁銀に統一し、銀座に鋳造権を与えました。

最初の丁銀は1601年(慶長6年)に鋳造され、「安政丁銀」まで幾度も改鋳したのですが、「正徳丁銀」「享保丁銀」を除き品位は下落。

室町期を含む初期の丁銀は切遣いされましたが豆板銀の普及とともに貨幣を切って使う「切遣い」は停止し、1868年(明治元年)維新政府の銀目廃止の布令によって豆板銀とともに通用停止となりました。

豆板銀とは、江戸時代に丁銀に対する少額貨幣として流通した銀貨であり秤量貨幣の一種です。元和期になって端数計算に便利なように、小重量銀貨である豆板銀が作られるようになりました。

「小粒銀」「小玉銀」とも呼ばれ、通称「銀玉」は当時、銀座において用いられた正式名称は「小玉銀」だったと記録に残されています。

丁銀・豆板銀の価値や歴史、それぞれの特徴とは?

丁銀とは、日本の江戸時代に用いられた貨幣の種類で、起源は江戸の初期になります。

主に長さ約10cm、重さ約60gで、銀細工師が鍛造した金属棒状の貨幣でしたが、一定の重量を表す単位であったため、その名がつけられました。

丁銀は日本国内だけでなく、国際貿易でも使われました。銀は国際的に価値交換のため、とくに中国やヨーロッパとの貿易に活用されました。

17世紀初めには、日本国内では金銭経済が進展し、それに伴って丁銀の需要が増加しました。これは豊臣秀吉の朝鮮出兵後、戦争資金を調達するための一助となりました。

また、丁銀の製造は主に四国や九州の銀山で行われ、大量に生産されて全国各地に流通する形となりました。

しかし、18世紀になるとそれまでの丁銀は廃止され、代わりに公定された新丁銀が使われるようになったのです。

丁銀は日本の金融システムの発展に大きく貢献し、国際取引を担っていた重要な貨幣でした。

丁銀の価値と特徴

  • 重さ: 丁銀は約3.75gの銀で作られています。これは一丁(四分一匁)の重さに相当します。
  • 形状:細長い棒状の形をしています。その形状から「棒銀」とも呼ばれています。
  • デザイン:一方の面には製造元である金座の印章が押されています。これにより、その銀の品質と価値が保証されます。

銀の価値は市場のバランスにより変動するため、その時々の価値を示すためには丁銀を計量する必要がありました。

なお、江戸時代には金貨系(金一分切、金一朱切など)や銭(寛永通宝など)と共に、丁銀が日本の貨幣の一部を形成していました。

豆板銀の価値と特徴

豆板銀は形状が豆に似ていることからその名がつけられました。大きさは小さく、手にすっぽりと収まるほどのサイズです。

これにより、小額の取引に便利でした。豆板銀の重さは均一ではなく、重さにより価値が決まります。その重さは通常、数gから十数gまでとされています。

豆板銀の一方の面には、金座の印や製造年、地名などが見受けられます。豆板銀の用途として、年貢を含む税金の支払いや外国との貿易、寺社に対する寄付、運営資金にも使用されていました。

藩でも使われており、藩によって独自の豆板銀が鋳造され、藩ごとに異なるデザインの豆板銀を藩内での経済活動や納税に使用されていました。

豆板銀は庶民の間でも日常的に使われており、商品や食料品、日用品の購入や販売、仕事の報酬など庶民が行うさまざまな取引において、通貨として利用されました。

これらの特徴から豆板銀は日常生活のなかで広く使われ、小さな取引に便利な貨幣として活用されていたことがわかります。

丁銀・豆板銀の発行された経緯とは?

天下を統一した徳川家康は、1601(慶長6)年に金座・銀座を設置し、全国的に統一された貨幣制度の整備を進めました。

江戸時代の通貨制度は「三貨制度」と呼ばれ、金貨・銀貨・銭貨の3種類の貨幣からなり、それぞれが別々の貨幣として使用されました。

このうち銀貨は秤量貨幣と呼ばれ、取引の際には両替屋などで目方を計り、それを和紙で包封していたので、重さの単位である匁や貫がそのまま貨幣の単位として使われました。

幕府は金銀銭の相場を定めていましたが、実際の相場は、金(両)建ての江戸と銀(匁)建ての大阪・京都間の物資の流通や、貨幣改鋳などの要因によって日々変動していたのです。

大阪の有力な両替屋の間で、金銀銭を交換するときの相場が各地の基準となっていたので、幕府は貨幣を安定的に流通させるため、金貨・銀貨・銭貨の間で交換比率を定めました。

18世紀後半、幕府が両建ての計数銀貨を発行するようになると、匁建ての秤量銀貨はほとんど流通しなくなりました。

ですが、大阪を中心とする両替屋や商人たちは、明治時代初めまで銀貨の単位である匁建てで商品の売買や資金の貸し借りなどの取引をしていました。

丁銀が発行された経緯は、日本の江戸時代の貨幣制度とその歴史的背景によります。

16世紀末から17世紀初頭の日本は、戦国時代の混乱から豊臣秀吉による全国統一、そして徳川家康による江戸幕府の樹立といった大きな変動があり、日本貨幣経済が大きく発展しました。

そのなかで、豊臣秀吉による全国的な金山・銀山の探索・開発が進められ、とくに銀の生産量が飛躍的に増加しました。

これにより銀が大量に流通するようになり、その結果、銀貨が広く使われるようになりました。

丁銀は、このような銀の流通をするために導入されたものです。それまで銀は不定形のまま取引されていましたが、丁銀の導入により、一定の形状と重さを持つ銀貨が広く流通することになりました。

丁銀は一丁(約60g)という一定の重さを持ち、この単位で取引が行われることが一般的でした。

豆板銀が発行された経緯も、江戸時代の日本貨幣経済の発展と密接に関係しています。

豊臣秀吉の時代に全国的な金山・銀山の探索・開発が進められ、その結果銀の生産量が大幅に増加したことで、丁銀の誕生と同じく豆板銀にも注目が集まりました。

増産により、銀が庶民の間でも広く流通するようになりました。

大きな塊の丁銀では日常生活での取引には不便で、また一般庶民には手に入れにくいものだったため、豆のような小さな銀片、つまり豆板銀が発行されました。

豆板銀は一般的に1g前後の重さがあり、日常の小規模な取引に多く使われていました。これにより、一般の庶民でも銀を通貨として使うことができるようになりました。

当時の丁銀・豆板銀の価値は?

重さの単位である「匁(もんめ)」を基準とする秤量貨幣で1匁(3.75g)=10分、1,000匁=1貫として使われていました。

  • 1609年 金1両=銀50匁=銭4貫文
  • 1700年 金1両=銀60匁=銭4貫文
  • 1842年 金1両=銀60匁=銭6貫500文

18世紀後半、幕府が両建ての計数銀貨を発行するようになると、匁建ての秤量貨幣はほとんど流通しなくなりましたが、大阪を中心とする両替屋や商人たちは、明治時代初めまで銀貨の単位である匁建てで、商品の売買や資金の貸し借りなどの取引をしていました。

代表的な丁銀一覧

慶長丁銀(けいちょうちょうぎん)

1601年(慶長6年)品位80%。

家康から大黒の姓を与えられた「大黒常是」が鋳造しました。その後、銀座の銀吹極・銀改役として代々銀貨の鋳造に携わりました。

当初は慶長丁銀より純度の高い灰吹銀の輸出量が多かったのですが、幕府はその後、慶長丁銀以外の銀の輸出を禁止しました。

慶長丁銀は「古鋳」「前期」「後期」「12面丁銀」「大黒丁銀」「沢潟程銀」の6種類があります。

種類や保存状態、極印数によって買取価格に差が出ますが、相場として30万円~50万円になり、古銭買取市場では非常に価値が高いと言われています。

高額買取になると500万円以上、さらには1000万以上になる可能性もあります。

元禄丁銀(げんろくちょうぎん)

1695年(元禄8年)品位64%。

慶長丁銀に次ぐ江戸時代2番目に作られた秤量貨幣です。表面に大黒像・常是・寶の文字、両端には「元」の極印が打たれており、祝儀用だった12面大黒像極印のある「十二面大黒丁銀」も存在します。

元禄丁銀も慶長丁銀同様、古銭買取市場での価値は非常に高いので、高価買取の可能性大です。

相場としては安く見積もっても40万円~60万円の価格がつきます。とくに12面丁銀は100万円になることも十分にあり得ます。

更に希少価値の高いものは300万円以上、ものによってはそれ以上になることも……。

元禄丁銀について詳しくはこちら↓

■元禄丁銀の買取価格は?歴史や価値を解説します!

宝永丁銀(ほうえいちょうぎん)

幕府は5年間で4種類の丁銀を発行しました。

二ツ宝(ふたつほう:ふたつたから)

1706年(宝永3年)品位50%。

12面に大黒像極印が打たれた12面大黒丁銀が存在し、祝儀用として使用されていました。

表面に大黒像・寶、上下の端に「宝」の極印があるものの、常是は無く、銀の含有率も低めですが、高額取引されており、相場は50万円前後となっています。

美品の場合100万円以上、高額だと300万円~600万円とかなり相場に幅がある丁銀です。

永字(えいじ)

1710年(宝永7年)品位40%。

表面に大黒像・寶、上下にひとつずつ宝、中央には「永」の極印がありますが、常是は打たれていません。また、ほかの丁銀で鋳造されていた12面大黒丁銀が存在しません。

そして鋳造期間が短く、鋳造量もかなり少ないので希少価値がかなり高く、状態が良くないものでも200万円前後での取引が期待されます。

状態の良いものだと500万円という高値がつくこともあります。

三ツ宝(みつほう:みつたから)

1710年(宝永7年)品位32%。

表面に極印が刻まれており、大黒像・寶、上下2ヵ所と内側に宝がありますが、常是はありません。贈答用として12面大黒丁銀が鋳造されています。

三ツ宝は現行している丁銀を回収して、新しい種類の丁銀を作り出す「吹替」が行われたので、現存数がかなり少ない丁銀になります。

そのため市場価格が高騰しており、100万円を下回ることのない丁銀と言えます。

200万円以上の値が付く可能性が大いにあり、状態によっては500万円以上になることも予想され、12面大黒丁銀の場合はさらに高値の期待が持てます。

四ツ宝(よつほう:よつたから)

1711年(宝永8年)品位20%。

三ツ宝同様、大黒像・寶、上下2ヵ所と内側に宝の極印がありますが、常是はありません。12面大黒丁銀も鋳造されています。

四ツ宝は発行枚数が多く、品位も20%と落ちるため、他の丁銀と比べて市場の価格は低いものとなります。

高値取引された場合の相場は50万円~100万円になる可能性が高く、12面大黒丁銀の美品の場合、200万円ほどになる可能性もあります。

宝永四ツ宝丁銀について詳しくはこちら↓

■宝永四ツ宝丁銀の買取相場は?宝永丁銀としての特徴や価値を解説!

正徳丁銀(しょうとくちょうぎん)/享保丁銀(きょうほうちょうぎん)

1714年(正徳4年)品位80%。

こちらの丁銀は、極印の数で名称が変わり、極印が8面打以上(10面打以上も含む場合あり)は「初期鋳造」なので「正徳丁銀」、極印が7面打以下(9面以下も含む場合あり)は「次期鋳造」なので「享保丁銀」と呼ばれています。

大黒像・常是・寶の極印があり、上納用・祝儀用として12面大黒丁銀も存在します。かなり価格差のある丁銀となっており、3万円~10万円、高値の場合は70万円~150万円ほどになる可能性が高いです。

元文丁銀(げんぶんちょうぎん)

1736年(享保21年)品位46%。

大黒像・常是・寶の極印と裏面に「文」の文字があります。

80年以上も使用されていた丁銀で、「文字丁銀」とも呼ばれており、鋳造量も多いので古銭市場の買取相場では2万円~4万円で取引されることが多いです。

こちらも12面大黒丁銀のものが発行されていたので、そちらは相場としては20万円~30万円ほどの値がつきます。

文政丁銀(ぶんせいちょうぎん)

1820年(文政3年)品位36%。

元文丁銀同様、大黒像・常是・寶の極印と文の文字がありますが、特徴として草書体で刻まれているので、別名「草文丁銀」とも呼ばれています。

買取相場は3万円~8万円となり、こちらも12面大黒丁銀が鋳造されている場合、相場は20万円以上で高値がつくと50万円~80万円になる可能性があります。

天保丁銀(てんぽうちょうぎん)

1837年(天保8年)品位26%。

こちらの丁銀は、「天保の大飢饉」によって打撃を受けた財政難克服を目的として低い品位で作られました。大黒像や常是、寶、そして「保」の文字が上下1ヵ所に打たれています。

また、上納・祝儀用として12面大黒丁銀も鋳造されています。買取相場は1万円~3万円で、12面大黒丁銀は30万円からの値がつけられ、保存状態の良いものは80万円の高値がつくこともあります。

安政丁銀(あんせいちょうぎん)

1859年(安政6年)品位13%。

この安政丁銀は江戸幕府最後の丁銀で、別名「政治丁銀」と言われています。表面に極印である大黒像・常是・寶が刻まれており、両端には「政」の字が押されています。

買取市場では1万円~3万円で取引されており、こちらも12大黒丁銀が存在し、稀少性が高いことから30万円以上の値段が期待できます。

石州銀(せきしゅうぎん)

「石州銀」は16世紀後半に石見銀山で産出した銀で作られた丁銀で、毛利氏の領国貨幣とされていました。

石見国、石見銀山の産銀が主ですが、周防国、一之坂銀山を示す「天又一」極印の打たれた丁銀も存在し、「石州丁銀」「萩丁銀」「萩古丁銀」「萩判銀」とも呼ばれています。

平たく長い楕円形の丁銀で、灰吹銀を鏨で打ち延ばして作られました。金は薄く打ち延ばされましたが、それが困難である銀は丁銀の形となり、表面に細かいひび割れが見られ、大小さまざまで形状が一定ではありません。

文字の極印がない薄手の「譲葉丁銀」が作られ、「御取納」「御公用」などの文字極印が打たれたものも鋳造されて、江戸時代の丁銀の原型となりました。

この当時の銀は江戸時代初期に至るまで秤量貨幣として切遣いされるのが一般的で、しばしば切銀も見られます。

丁銀の鋳造および切断は銀屋(かなや)と呼ばれる銀の精錬、買入れや両替をする両替商で行われ、後の銀座の前身となります。

加賀花降銀(かがはなふりぎん)

「加賀花降銀」は純良な銀のことを言い、長方形板状の「花降一枚銀」や、短冊形銀塊の「花降百目銀」などがあります。

精錬過程で純良な銀は熱を冷ますときに、表面が盛り上がって花が開いたような現象になることからその名前がつきました。

室町時代末、諸大名が私造した銀貨と言われ、銀の面に星形が連なって表面に「花降」の二字があり、十両・一両・百目などがあります。

人参代往古銀(にんじんだいおうこぎん)

1710年(宝永7年)品位80%。

「人参代往古銀」とは宝永7年9月(1710年)から、高麗人参の取引専用に鋳造された丁銀の一種で秤量銀貨です。「往古銀」または「人参丁銀」とも呼ばれています。

この「往古」は慶長銀の品位への復帰を意味し、表面には、「寳」字および大黒図柄が打たれており、その極印は宝永四ツ宝丁銀と同じですが年代印は無く、品位は慶長丁銀と同一です。

貿易専用の銀なので日本国内では通用せず、対応する小玉銀は鋳造されませんでした。

対馬藩は薬用人参などの輸入代金を慶長丁銀で支払っていましたが、その後発行された宝永丁銀は質が悪く受け取りを拒否されたので、輸入代金の支払いのため、慶長丁銀と同等の質の良い人参代往古銀が作られたのです。

幕府は灰吹銀の海外流出を防ぎ、輸出用の銀を幕府発行の丁銀に限定するために、貿易を監視する銀座を長崎に設置しました。

代表的な豆板銀一覧

慶長豆板銀(けいちょうまめいたぎん)

慶長丁銀は1枚120g~140gあり、持ち歩くには不便な重さで、日用品の買い物をするには高額だったことから、「慶長豆板銀」が作られました。

重さは0.4g~4gで、ちょっとした買い物や持ち運びにも便利なので、慶長丁銀の補助的な存在となりました。

慶長豆板銀にも複数の種類が存在し、なかでも、「片面大黒」「両面大黒」「大黒五ケ打」の刻印は希少価値が高く、一般的なデザインものより買取価格が10倍以上になる場合があります。

あくまでも目安ですが、一般的なデザインの買取額は2,000円~10,000円以下で、片面大黒は2万円~5万円前後、両面大黒は10万円以上、大黒五ケ打は数十万円となっておりますが、保存状態によって価格は変動します。

元禄豆板銀(げんろくまめいたぎん)

1600年後半に作られた「元禄豆板銀」は買取価格が高く、希少価値の高いものなら30万円前後で取引されています。種類は「普通品」「元字大黒」「元字大黒めぐり元」「群元」「大字元」があります。

希少性は高いですが贋作が多く存在し、コレクションしにくい古銭のためコレクターが少なく、市場価格は下落傾向です。

買取価格は種類や保存状態、重量によって変わってきますが、3千円~10万円前後となっています。

状態が良く鑑定書が付いている場合は高額が期待できますが、鑑定書がない場合は買取価格が下がる傾向があります。

宝永永字豆板銀(ほうえいえいじまめいたぎん)

災害が多かった1700年代初めに、復興に必要となる資金を調達する目的で作られました。大黒像の周りに小さい永の字が配列された極印が目印になります。

希少価値があり、保存状態が良い場合は20万円前後で取引されます。

宝永四ツ宝豆板銀(ほうえいよつほうまめいたぎん)

宝永四ツ宝豆板銀は1711年に作られました。同時期に作られた宝永四ツ宝丁銀の補助貨幣としての役割もあります。

銀の品位が20%とほかの豆板銀に比べると品位が低く作られていますが、丁銀との比率で見ても少ない枚数しか作られていないので、価値が高いとされています。

基本的には表面の中央に彫られた「寶」または「宝」の字を囲むようにして「宝」の字が刻まれたものと、中央の文字を大黒天の像が抱える形のものがあります。

しかし両面に大黒像が彫られているものや、大きな文字で彫られた「宝」のデザインのものは現在もまだ発見されていません。

作られた枚数が少ないこともあり5万円程度で取引されていますが、大黒像があるものなど珍しいものは倍の値段で取引されることもあります。

いずれにしても彫られたものがはっきりと確認できた方が、そうでないものより高値になる可能性は高いです。

正徳豆板銀(しょうとくまめいたぎん)/享保豆板銀(きょうほうまめいたぎん)

正徳丁銀と同品位の80%の良質な豆板銀で、大黒像・常是・寳の極印が打たれ、平らな円形が多く、大黒像が正面を向いています。1714年(正徳4年)から丁銀とともに発行されました。

享保年間(1716年~1736年)に長く通用したことで、「享保豆板銀」とも呼ばれています。

発行数が多いため、通常品は数千円の相場になりますが、大黒像が描かれている場合には1万円前後の価値があります。さらに裏面にもある場合は3万円~5万円前後になります。

元文豆板銀(げんぶんまめいたぎん)

「元文豆板銀」が鋳造された当時、政府の経済状態は悪く、日本の銀埋蔵量が減っていました。経済界も疲弊している最中、銀品位をかなり落とした元文豆板銀が発行されました。

元文豆板銀が作られたことにより、商業界を中心に日本は力を回復していきました。

元文豆板銀は元文丁銀と同品位の豆板銀で、「寳」「文」を中心に、大黒像の周囲に小さい「文」を配列された極印を基本としています。

また文の字が集合した「群文」、大きい文の字の極印である「大字文」などがあります。

両方に大黒様がデザインされているものは2万円前後で、大字文タイプや群文タイプは9万円~12万円ほどの価格になるでしょう。

文政豆板銀(ぶんせいまめいたぎん)

「文政豆板銀」も銀の品位が低い貨幣なので、現在の買取相場は数千円が相場となっていますが、20万円前後の値段になるものがあります。

それが、「大字賽」「大字文」「群文」です。この種類は希少価値が高いので高値になるでしょう。

文政豆板銀は鎖国制度がいつまで続くか分からず、諸外国から開国の圧力を受けている頃の貨幣で、約20年間鋳造され続けました。

天保豆板銀(てんぽうまめいたぎん)

「天保豆板銀」が作られた時代は、株や銀行のように現代に通じる商業的な改革が積極的に行なわれましたが、成果を出せずに終わりました。

天保豆板銀はそれほど多く作られてはいませんでしたが、人々の生活に浸透した貨幣でした。

買取価格は、数千円から数十万円と幅があり銀品位が低く、20年ほど鋳造されました。天保豆板銀は銅が7割、銀は2割程度で、「保」が強調されたデザインです。

安政豆板銀(あんせいまめいたぎん)

「安政豆板銀」は、1859年(安政6年)から数年間のみ製造され、秤量貨幣としては最後に鋳造されたものです。これまで少なかった銀の品位がより下がった貨幣となりました。

当時の日本は外国との交易が盛んに行なわれ、日本の金や銀が多く輸出されていました。

結果、金銀が不足してこれ以上資産が海外へ流出しないように、銀品位を落とせるところまで下げたのです。今までで最も銀含有量が低い豆板銀となりました。

安政豆板銀は数千円から数十万円と買取価格の幅のある貨幣です。「政」の極印があるものがプレミアとなります。

丁銀・豆板銀を査定に出すうえでの注意点

丁銀や豆板銀を含む古銭は、日を追うごとに劣化していきます。

鋳造されてから今日までの数百年の経年劣化により、壊れやすい状態にある丁銀・豆板銀が更に劣化する前に、一日でも早く査定に出すことで少しでも高価買取に繋がります。

古銭はサビや変色が発生しているものが多いですが、保存状態が良いほど査定も高くなるとはいえ、洗浄液やサビ落としの薬剤を用いるのはNGです。

化学反応が起き、変色や劣化、破損に繋がる可能性があるからです。

お手元の丁銀・豆板銀の状態に不安を感じたら、柔らかい布で優しく汚れを払い落す程度にしてください。丁銀・豆板銀に付属品がある場合、併せて査定時に出すようにしてください。

鑑定書や木箱など査定に良い影響を与える付属品となります。

丁銀や豆板銀は大きさや重さが一定ではなく、極印の数や文字によって買取価格が大幅に変動します。さらに贋作が多く、トラブルになりやすいので、古銭の専門知識を持つ査定士が在籍しているお店での取引が安心です。

丁銀・豆板銀の買取りは、ぜひ金貨買取本舗にご用命ください!

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