栃木県の記念硬貨一覧
地方自治法施行60周年記念貨幣(栃木県) 1000円銀貨幣
発行年 | 平成24(2012)年8月24日 |
図柄(表) | 日光東照宮陽明門 |
図柄(裏) | 雪月花 |
素材 | 銀 |
品位(千分中) | 純銀製 |
量目 | 31.1g |
直径 | 40mm |
地方自治法施行60周年を記念して発行されたこの硬貨の貨幣の表面には、都道府県ごとに県を代表する名所や名産物がデザインされています。
栃木県のデザインは、世界遺産にも登録された日光東照宮、その正門である陽明門です。豪華な装飾を誇る陽明門がカラーコインのなかで、鮮やかに、そして煌びやかに表現されています。
裏面は各県共通で、雪の結晶、三日月、桜の花を組み合わせたデザインです。
この「雪・月・花」の組み合わせは、元は白居易の漢詩「寄殷協律」の一句「雪月花時最憶君」に由来する自然の美しいものを指す言葉です。伝統的な美の感覚を連想させる言葉として、日本ではさまざまな文物に取り入れられています。
また、この硬貨は、日本が誇る最先端の偽造防止技術が施されていることも特徴のひとつです。
たとえば、裏面にある最も大きな雪の結晶には、下に向けると「60」、上に向けると「47」の文字が浮かび上がる潜像加工が施されています。
そのほか、側面にある斜めのギザや各所に施された微細点、微細線加工といった加工は、最早芸術といってもよいでしょう。
地方自治法施行60周年記念貨幣(栃木県) 500円バイカラー・クラッド貨幣
発行年 | 平成25(2013)年1月16日 |
図柄(表) | 眠り猫と雀 |
図柄(裏) | 古銭をイメージした「地方自治」 |
素材 | 銅・白銅・ニッケル黄銅 |
品位(千分中) | 銅75%、亜鉛12.5%、ニッケル12.5% |
量目 | 7.1g |
直径 | 26.5mm |
地方自治法施行60周年記念の500円記念硬貨は、バイカラー・クラッド技術で作られています。
異なる種類の金属板をサンドイッチ状に挟みこむ「クラッド」技術でできた円板を、それとは異なる金属の輪にはめ込む「バイカラー」技術の両方を用いた硬貨です。
ユーロ硬貨やカナダドル硬貨など、海外では採用例の多い硬貨ですが、日本ではこの記念硬貨に初めて用いられました。
硬貨の各所に偽造防止のための微細点や微細線加工が施されているほか、裏面中央の四角いくぼみには、潜像加工が施されており、硬貨を傾けると地方自治法施行60年にちなんだ「60」と47都道府県を示す「47」の文字が浮かびあがります。
また表面の図案は、都道府県を代表する名所がモチーフとなっています。
栃木県の図案は、日光東照宮の東回廊にある木彫りの眠り猫と雀の装飾です。数ある日光東照宮のなかでも、最も有名な彫刻ともいわれ、その彫刻の意味については、現代でもさまざまな考察がなされています。
1,000円記念硬貨の表面 「日光東照宮」
栃木県の記念硬貨は、陽明門と眠り猫というどちらも日光東照宮にまつわるものです。
日光東照宮は、東照大権現こと徳川家康を祭る東照宮の本山であり、関八州の守り神でもあります。江戸時代には歴代の将軍たちが訪れ、その過程で江戸と日光を結ぶ日光街道も発展してきました。
まさに、日光東照宮は栃木県を代表する名所といえるでしょう。
東照大権現の眠る場所
1617年、駿河国(現在の静岡県)の駿府城で家康は、74年の生涯を閉じます。その1年後、2代将軍によって日光の地に改葬されました。
これが日光東照宮のはじまりです。その造営にあたっては、幕臣の天海僧正を中心に藤堂高虎が現場監督を務めました。
このときの東照宮は、家康の一周忌に間に合わせるため、また、家康自身が質素倹約を旨としていたことから、派手さのない落ち着いた建物であったとされています。
その後、家康の21年神忌に向けて、3代将軍家光のもと寛永の大造替が行われました。
江戸はもとより京都や大阪などの上方からも、何人もの優れた宮大工が集められたほか、狩野探幽(かのうたんゆう)や左甚五郎(ひだりじんごろう)などの絵師や彫刻家なども集められ、現在に伝わる荘厳な建物へと生まれ変わりました。
そんな東照宮には、初代将軍である家康の威光にあやかろうと、歴代の将軍が何人も参拝しています。
また、江戸時代を通じて、身分を問わず多くの人々が訪れたことで、日光の地、そして、日光街道の宿場は発展していくことになります。
なぜ、日光の地が選ばれたのか
徳川家康は死ぬ前に、自身が死んだあとの扱いについて、非常に細かく家臣に伝えていたといいます。
いわく、「遺体は駿河国の久能山に葬り、江戸の増上寺で葬儀を行うこと、三河国の大樹寺に位牌を納め、一周忌が過ぎたら下野の日光にお堂を建てて、祭れ」と。
ただ、これを聞いた家臣たちは大いに困惑したに違いありません。
久能山は家康が青年期と晩年を過ごした駿府城にも程近い霊山であり、増上寺と大樹寺は松平家・徳川家の菩提寺です。そのなかで、日光だけ全く家康に縁もゆかりもありません。
なぜ、家康は日光の地を自身の改葬の地として選んだのでしょうか。
その理由のひとつに、源頼朝の影響があるとされています。
奈良時代末期に勝道上人(しょうどうじょうじん)によって開かれた日光は、鎌倉武士たちの尊敬を集める霊場でした。しかし、それも時代の移り変わりとともに衰退していきます。
源氏の末裔を名乗っていた家康が、日光の再興を考えていたとしても不思議ではないでしょう。
また、ほかの場所との関連性を見出す研究も盛んです。
たとえば、江戸城と日光はちょうど南北に一直線に並んでいます。同じように、日光は家康の生まれ故郷である岡崎や、家康が最初に遺体を葬るよう命じた久能山とも同緯度です。
家康の人生に係わる場所が一直線に並んでいるのは、単なる偶然なのでしょうか。東照宮への疑問は、まだ尽きる気配がありません。
栃木市の記念メダル「キャンプ・アンド・キャビンズ那須高原」
出典:栃木県【キャンプ・アンド・キャビンズ那須高原】 記念メダル | 記念メダル図鑑
栃木市には残念ながら記念メダルがありませんでしたので、県北にある那須町の記念メダルを紹介します。
栃木県の最北端に位置する那須岳の山麓に開かれた那須町は、大正時代に那須御用邸が建てられたことから、現在でも避暑地として人気です。
特に、那須高原一帯は登山客以外にも牧場や美術館、ホテルやキャンプ場が立ち並ぶ一大リゾート地となっています。
各観光地で記念メダルが購入できますが、今回は那須高原にあるキャンプ場、「キャンプ・アンド・キャビンズ」で購入できるものを紹介します。
那須高原の魅力とは
那須高原は古くから温泉地として、その名が知られていました。
各温泉ごとに泉質の異なる那須温泉郷は、那須与一や松尾芭蕉なども訪れた名湯です。江戸時代に発行された温泉番付でも大関の草津温泉に次ぐ、東の関脇として紹介されています。
そんな著名な温泉地であることや、冷涼で湿気の少ない過ごしやすい気候であることも御用邸として選ばれた理由なのかもしれません。
現在では湯治場としてだけではなく、その気候や広々とした自然を活かした一大リゾート地としての開発が進んでいます。
夏はキャンプ場やサファリパークを観光、冬はスキーを楽しみ温泉に入るという、なんとも贅沢な過ごし方ができる場所です。東京から高速一本で行けるアクセスの良さも魅力のひとつでしょう。
那須高原でキャンプをお手軽に楽しもう
キャンプ・アンド・キャビンズ那須高原の特徴は、そのターゲット層をキャンプをしたことのない家族連れに絞っていることではないでしょうか。
昨今、キャンプがブームですが、テントや寝袋などの装備は高く、なかなか初心者には手が出ません。また、装備を購入できても、料理や片付けなど慣れていないと面白くありません。特に、子どもはなおさらでしょう。
そんな問題をキャンプ・アンド・キャビンズはキャビンや設備を充実させることで解消しています。
ほかにも、子どもが遊べるアクティビティも充実しており、小さい子ども連れでも安心してキャンプが楽しめるようになっています。
ちょっと玄人には物足りないかもしれませんが、こういう初心者向けのキャンプ場がないと、キャンプという文化自体がいつか廃れてしまうでしょう。
記念メダルが購入できる場所として、キャンプ場というのは珍しい場所です。少々変わった記念メダルが1枚くらいあってもいいのではないでしょうか。
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