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金が取引されたのはいつから?日本や世界の金の歴史から金の価値を知る

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金はその美しい輝きと希少性、そして加工のしやすさから、装飾品や通貨、さらには資産保全の手段として広く用いられてきました。
そのため、金は古代から現代に至るまで、人類にとって特別な価値を持ち続けてきた貴金属といえます。

今回の記事では金の歴史を紐解きながら、取引のはじまりや金の価値について解説していきます。
人類と金のかかわりを理解することで、その価値が再認識できるでしょう。

1. 世界の金の歴史はどこからはじまった?

金の歴史は紀元前6000年までさかのぼります。
チグリス川とユーフラテス川の辺りで金の存在が確認されたと言われており、この地域には天文学や高度な技術を持つシュメール人が住んでいました。

シュメール人は、自分たちが「アヌンナキ」と呼ばれる神々の集団によって創られたと信じていました。
そして、アヌンナキは金を発見するために別の星から地球に来たという伝説を粘土板に残しています。
これが世界で最も古い金の逸話です。

ここでは世界の金の歴史を紹介します。人類の文明と金がどのようにかかわり、どのように発展してきたのかをみていきましょう。

■ シュメール文明の金の歴史

紀元前6000年ごろ、メソポタミア地域で栄えたシュメール文明で金はどのように使われていたのでしょうか。
一説には、シュメール人たちが信仰していた神々であるアヌンナキへの貢物として、金を利用していたのではないかと推測する人もいます。
現代においても謎に包まれているシュメール文明ですが、この時期に金の装飾品が存在していたという考えは根強く残っています。

■ 古代エジプトの金の歴史

古代エジプトといえば、金をふんだんに用いた装飾品を想像する方も多いでしょう。
特に有名なのは、紀元前1300年ごろに作られたツタンカーメンの棺やマスクです。

これらは、王の威光と国家の繁栄の象徴として、非常に高純度の金を使用して装飾されました。
ツタンカーメンの墓からは、ほかにも2000点以上の金や宝石を使った装飾品が発見され、その中でもマスクは時価300兆円ともいわれています。

また、エジプトでは「太陽信仰」が行われており、光輝く金は太陽神ラーの一部と考えられていました。
そのため、金は宗教儀式やエジプトの王であるファラオのみが使用することが許され、絶対的な権力者のみが所持する特別な存在でした。
この背景から、一般市民が金の欠片を持つことは許されず、金は国家によって徹底的に管理されていたようです。

■ 中世ヨーロッパの金の歴史

中世ヨーロッパになると、希少価値の高い金を科学的に合成するために、「錬金術」という学問が生まれました。
この学問では金を生み出すことを目指し、さまざまな鉱物や薬物を混ぜあわせる実験が行われていたようです。

後に万有引力の法則を発見するニュートンも錬金術を学び、実験を重ねた人物のひとりです。
結果として、錬金術は金を人工的に生成することはできなかったものの、科学の発展には大きく寄与したと言えるでしょう。

2. 日本の金の歴史はいつから?

世界における金の歴史をみてきましたが、日本ではいつ金が発見され、どのように利用されていたのでしょうか。
続いては日本の金の歴史を紹介します。

■ 日本には大量の金があった!

日本の金の歴史を語る上で欠かせないのが、佐渡島にある佐渡金山です。

佐渡は古くから金の産地として知られ、平安末期の「今昔物語集」などの文献にその存在が記されています。
江戸時代に入ると、関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康が佐渡を直轄領に指定し、そこで金銀鉱脈が発見されました。
結果として、佐渡は日本最大の金銀山として栄え、江戸幕府の財政基盤を支える重要な役割を果たしました。

しかし、江戸時代中期になると産出量が減少しはじめました。
さらに、幕末になると日本では外国との貿易が活発化し、外国からは主に銀が輸入され、日本の金と交換される形で大量の金が流出したのです。

しかし、明治維新後、明治政府が西洋技術者を派遣して近代化を図ります。
そして、新設備の導入や技術教育の促進により、佐渡金山は再び産出を増加させ、江戸時代前期の水準にまで回復しました。
その後も佐渡金山は日本の金産業の中心地として操業を続け、1989年までの約400年間にわたって稼働し続けました。

3. 金の価値の高さは世界の金貨(お金)からわかる

金を使った産物として代表的なものに金貨があります。
金は偽造が困難でコストがかかる上、高い耐蝕性を持っているため多くの国で貨幣の材料として使用されてきました。
金の価値を理解するには、金貨の存在は切っても切り離せません。

そこで最後に、世界や日本で作られた金貨をみていきましょう。
金貨の歴史を追うことで、金がいかに長く、そしてどれほど重要な貨幣として認識されてきたかが理解できるでしょう。

■ 海外でつくられた金貨

世界最古の金貨とされるのは、紀元前670年頃に現在のトルコ付近で繁栄したリディア王国の「エレクトロン貨」です。
この貨幣はリディア王国のパクトロス川で採れる砂金を使用しており、純金ではなく少量の銀を含む自然金を加工して作られました。

中国では、前漢時代に家臣への褒美として「馬蹄金(ばていきん)」が最初に作られた金貨とされています。
これは、日本最古の金貨「開基勝宝(かいきしょうほう)」と同様に、流通用ではなく褒美や記念品として用いられていたようです。

今は記念品として発行される金貨も多くあります。
たとえば、パンダ金貨や北京オリンピックの記念コインが代表的です。
特にパンダ金貨は毎年デザインが変わり、特定の年のものはコレクター間で高額で取引されることもあります。

アメリカでは、1800年代、リンカーン大統領の時代から金貨の本格的な流通が始まりました。
以前にも金は使用されていましたが、体系的に活用されはじめたのはこの時期からです。
アメリカの金貨といえば、彫師ジェイムズ・ロングエーカーの名が欠かせません。

彼がデザインした「インディアンヘッド」や「リバティ金貨」が有名です。
インディアンヘッドにはネイティブ・アメリカンの羽根飾りをつけた自由の女神が描かれ、20世紀初頭まで使用されました。
一方、コロネヘッドは小さな冠をつけた自由の女神が描かれたデザインです。

ジェイムズ・ロングエーカーが手がけた20ドル金貨は非常に希少です。
市場での流通量が極めて少ないため、1枚あたり約2,400万円の価値がつけられることもあります。

そして、1816年、イギリスが世界で初めて金本位制を採用しました。
これに続いて、翌年には1ポンドのソブリン金貨を発行し、第一次世界大戦までの約100年間、イギリスでは金貨本位制が利用されていました。

この取り組みは欧州諸国にも波及し、1971年に起こったニクソン・ショックにより米ドルと金の交換が禁止されるまで、世界各国で金本位制が続きます。
このように、金は通貨として用いられるほどに安定性が高く、信頼されてきたことがわかります。

■ 日本でつくられた金貨

日本で最古の金貨は奈良時代(8世紀)に作られた「開基勝宝(かいきしょうほう)」です。
しかし、これは一般に流通した和同開珎のような通貨ではなく、主に褒賞品として用いられていたようです。

室町時代に入ってはじめて、一般に流通する金貨や銀貨が登場します。
鎌倉時代にも金が取引に使われていましたが、それは金貨ではなく砂金の形であり、取引の際にその重さを量って使用していました。
室町時代では明との貿易によって貨幣が輸入され、さらに戦国時代には諸大名が鉱山開発を進めたことで、多くの金貨が流通するようになりました。

これを全国統一の貨幣にしようとしたのが、江戸幕府を開いた徳川家康です。
家康は全国の金山や銀山を幕府の管理下に置き、小判をはじめとするさまざまな金貨や銀貨の製造を行いました。
江戸時代初期の小判1枚(1両)の価値は、米価から現在の物価に換算するとおよそ10万円になります。

4. 古くから人類と共にある金は今の価値や相場とつながっていた

古代から現代に至るまで、金は人類と共に歩んできた貴重な資産です。
その輝きと希少性から、金は世界中で高い価値を持ち続けています。

金は長い間、貨幣や取引の基準として使用され、経済の安定性と信頼の象徴として重要視されてきました。
現代においても、金は投資や金融市場でのリスク対策として利用され、世界の経済における重要な役割を果たしています。
金の価値や相場は需給のバランスや経済状況に影響されますが、その安定性と信頼性は古今を通じて変わることがありません。

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