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100日間再び帝位に!ナポレオン1世、百日天下と金貨発行

ナポレオン1世は1814年に戦争に敗れ、帝位を追われてエルバ島に配流となった後、1815年エルバ島から脱出して、フランス南海岸に上陸。民衆や兵士に支持されて再びパリへ入り帝位を取り戻しました。ですが、ワーテルロー会戦に敗れて再びその地位を追われセントヘレナ島へ流刑とされました。
ここでフランス第一帝政は終焉を迎えました。

この帝位を取り戻し、失脚するまでの間に発行された1815年の金貨は「百日天下」と呼ばれ人気を集めています。今回はナポレオン1世の百日天下金貨の発行と歴史の流れをお話いします。

ナポレオン画像

ナポレオン1世、第一帝政時代のはじまりは?

ヨーロッパ地図

資本主義革命であるフランス革命後、フランスは市民の手によって王族・貴族政治が廃止されましたが、しばらく混乱が続いていました。
市民は収入によって地主や実業家といった富裕層、商工業者や知識人といった中流市民、手工業者や労働者といった下層市民に分かれ、それぞれ考え方が対立していたからです。
さらにフランスから王による支配が無くなった後、イギリス・オーストリア・ロシアなど王権制を維持している国は、フランスを敵対視するようになりました。自分の国でも王権制を廃止する動きが出ては困ると考えたからです。

外からの侵略と内部の混乱で荒れていたフランスを変えたのが、ナポレオン・ボナパルトです。ナポレオンは優れた軍事力で周辺諸国を次々と支配。政治力にも優れており、銀行の設立や法律の制定などを実施し、フランス国内の制度を整えていきます。
ナポレオンの侵攻を恐れた周辺諸国はフランスを攻撃しますが、ナポレオンは周辺諸国の攻撃にも打ち勝ち、強いフランスを築き上げました。
1804年、ナポレオンは国民投票により皇帝に就任し、フランスは第一帝政時代に入ります。ナポレオン法典とよばれるフランス民法典も公布しました。
フランス皇帝ナポレオンの第一帝政時代を詳しく知りたいかたはこちらの下記コラムもどうぞ

アンティークコインの世界へようこそ!フランス皇帝ナポレオンの第一帝政時代と金貨

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勢力拡大も絶頂期から10年、ナポレオン帝国の崩壊

第一帝政、ナポレオン帝国は1804年から始まりましたが、わずか10年で幕を閉じます。ナポレオンは皇帝となった後も、次々と周辺諸国と戦争を繰り広げて、領土を拡大していきました。
しかしフランス革命の意識はやがてフランスが支配した領土にも広がっていきました。フランスが支配していた国の一部が独立を目指すようになったのです。
イギリス・オーストリア・ロシアなどはフランスの力を弱めるため、フランスから独立しようとする国を支援しました。対仏大同盟は直接フランスとも戦争を仕掛け、徐々にフランスの力は低下していきました。

1806年、フランスは周辺諸国の力を減らすために、イギリスとの貿易を禁止する大陸封鎖令を発動しました。しかしロシアは大陸封鎖令を破り、イギリスと貿易を開始します。
そこで1812年、ナポレオン軍はロシアに侵攻しました。しかしこの頃、ナポレオン軍の力は既に低下。ロシア軍の焦土作戦により現地での物資調達が困難となり、ナポレオン軍は大敗します。そして1813年、プロイセン・オーストリア・ロシアの連合軍がフランスに侵攻してきました。ナポレオン軍は抵抗しようとしますがロシア遠征で既に力のほとんどを失っており、3月31日にはフランスの首都、パリが制圧されます
。4月4日、ナポレオンは無条件で退位となり、第一帝政は終了を迎えました。4月16日、フランスと対仏大同盟はフォンテーヌブロー条約を締結。ナポレオンは地中海に浮かぶエルバ島の小領主として配流されました。

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ブルボン朝の復活は貴族政治の復活

ナポレオンがエルバ島に流された後、フランスの新しい支配者としてルイ16世の弟、ルイ18世が選ばれました。この頃、フランス革命やナポレオンの影響を受けて、ヨーロッパ国内では独立を目指す動きが目立ち始めました。
イギリス・オーストリア・プロイセン・ロシアといった王国・公国はフランスに王制を復活させることで、市民革命の流れを止めようとしたのです。こうしてルイ18世が即位し、ブルボン朝が復活したフランスは再び王族・貴族中心の社会に戻りました。政治の決定権は王族・貴族にゆだねられ、市民はほとんど政治に関与できなくなったのです。フランス革命で一度手に入れた自由を再び奪われ、市民の不満は徐々に溜まっていきました。

なお王国・公国は1814年9月からウィーン会議を開催していました。ナポレオンを退位させた後、どのようにヨーロッパに広がった独立運動の流れを収めようか検討しようとしたのです。
しかし参加国同士の利害関係は一致せず、会議はなかなか進みませんでした。あまりにも会議が進まないため、「会議は踊る、されど進まず」と風刺されるほどです。結局ウィーン会議は1815年6月にウィーン体制を確立させて終結し、王国・公国同士で同盟を結びました。王国・公国による同盟はその後、王政維持のため独立運動を鎮圧していきます。

ナポレオン退位後発行された金貨・ルイ18世肖像金貨

ナポレオン1世は1814年に帝位を追われ、この年ルイ18世が復位された。王政復古となります。ルイ18世は急速に支持を失い、後述のナポレオンの百日天下につながります。

ルイ18世は1824年に死去し、王弟アルトワ伯爵が王位を継承してシャルル10世となりました。

1814年-1824年に鋳造された金貨はルイ18世の肖像となります。
表面にはルイ18世の肖像と「LOUIS XVIII(ルイ18世)」「ROI DE FRANCE(フランスの王)」の刻印。裏面にはブルボン王家紋章が刻まれています。
1814年-1815年はミントマークがRでロンドンで鋳造された物があります。

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ナポレオン、パリに再び!百日天下の始まりと終焉

宮殿とナポレオン像

ブルボン朝の復活により、市民は再び政治に関与できなくなりました。不満が溜まった市民の希望に応えるため、ナポレオンはイタリア領エルバ島を脱出、1815年3月1日、フランスに上陸します。
当初ルイ18世は討伐軍を向かわせましたが、討伐軍はナポレオン側に寝返り、パリへの侵攻を開始しました。討伐軍の寝返りを知り、ルイ18世は国外へ逃亡します。
ルイ18世が逃亡したことでフランス国内には統治者がいなくなり、ナポレオンは再び皇帝に就任しました。
ナポレオンは議会の招集や新しい憲法の制定などを実施し、国民の期待に応えていきました。

1815年6月、ヨーロッパ内の王国・公国はパリに戻って来たナポレオンを再び脱却させるため、対仏大同盟を再び結成し、フランスへの侵攻を始めます。ナポレオン軍はベルギー近郊のワーテルローで迎え撃ちますが、イギリス軍のウェリントン率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に完敗してしまいました。
ワーテルローの戦いに負けたことでナポレオンは再び皇帝の地位から降ろされます。ナポレオンがパリに戻ってから、ワーテルローの戦いで負けるまでに経過した日数は約100日。そのためこの間の期間は「百日天下」と呼ばれています。

なおナポレオンが退位した後、ナポレオンの息子であるナポレオン2世が皇帝に就任します。しかし議会などの反対もあり、ナポレオン2世はすぐに帝位から降ろされ、第一帝政は完全に終わりを迎えました。

ナポレオン1世百日天下金貨、銀貨発行

この再び皇帝に返り咲き、ワーテルローの戦いの敗戦までの間に発行された百日天下といわれる金貨は希少性があるため人気があります。
コインは20フラン金貨と5フラン銀貨、2フラン銀貨が発行されました。期間がわずか100日だったため、新しいデザインでは発行されず前の期間に発行されていた月桂冠を被った肖像と似たデザインのコインとなりました。1815年の単独発行となりました。

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ナポレオンの百日天下のその後、第二帝政時代への突入

1815年6月にワーテルローの戦いで負けた後、帝位を失ったナポレオンは1815年10月、南大西洋に浮かぶセントヘレナ島に流されました。セントヘレナ島は高温多湿でナポレオンにとっては非常に過ごしにくい環境です。
最初に配流されたエルバ島はフランス領コルシカ島とイタリア本土の間にありましたが、セントヘレナ島は完全に孤立した島となっています。さらにナポレオンの周りには常に監視の目があり、散歩も制限されているなど、ほとんど自由のない生活となりました。
しかしナポレオンは監視された環境下でも、側近に自分の考えなどを伝え、膨大な回想録を遺しています。セントヘレナ島で不自由な生活をしていたナポレオンは1821年、その生涯を閉じました。

一方ナポレオンが退位した後、周辺諸国の助けもあり幽閉されていたルイ18世が再びフランスの支配者として即位します。
ルイ18世とシャルル10世は王政を復活させ、市民を押さえつけていきました。
しかし一度自由を手に入れた市民は王族・貴族による強い支配に我慢できません。フランス国内は王政を支持する人達とナポレオンがもたらした自由な考えを支持する人達で分かれ、再び混乱します。混乱真っただ中の1840年、フランスにナポレオンの遺体が返還されます。
フランス国内の人達は再びナポレオンを支持する気持ちが強まり、ナポレオン・ボナパルトの甥であるナポレオン3世を新しい支配者に選びました。ナポレオン3世は1852年に帝位に就き、フランスは第二帝政時代に入っていきます。

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ナポレオン1世の金貨の買取は金貨買取本舗へ

ナポレオン1世の硬貨は、パリ鋳造だけでなく、イタリア領[ジェノバ、トリノ鋳造(1803年-1813年)]、ローマ鋳造(1812年-1813年)、オランダ[ユトレヒト鋳造(1812年-1813年)]、そしてスイス領ジュネーブ鋳造など、今のヨーロッパ各地で作られていました。これらはフランスの管理下でフランス帝国の貨幣として鋳造されました。

ナポレオン金貨はナポレオン1世、ナポレオン3世の金貨に加えて、20フランのフランス金貨や5・10・40・50・100フラン金貨を総じてさす場合もございます。
大量に鋳造され現存枚数も多い金貨のため、基本的には地金相当のお買取りになります。その中でも発行枚数の少ない年数のミントマークや、ナポレオン1世の初期の状態が綺麗なコイン、PCGS、NGCの鑑定機関がグレーティングしたコインなどは高額で取引されます。

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